靖国神社の考え方
2014-01-31 00:21
hasegawa
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http://d.hatena.ne.jp/glocaleigyo/20090228/p1 こちらに上手に書いてあるのを見つけたが、ずっと思っていることを書き留めたい。 世界はいろいろな考え方の人々の集まりである。 国や宗教が違えば考え方も変わる...ということを踏まえるべきである。 しかし、中国韓国は自分たちの考え方で、日本を測っているのは言うまでもない。 また、大前提として彼らの真意は、日本の考え方は間違っていて悪である、どんなことをしても日本を陥れることが目的である、ということだ。 話せば分かってもらえる...と思わない方が良い。 もちろん、個人個人、一人一人の日本人、中国人韓国人としては、話して分かることはあると思うし、そうしたいと思うしそういう人もいる。でも国としては日本を屈服させることが彼らの目的であることを踏まえて、上に立つ人は考えてほしい。 第三国にまで嘘を宣伝するようになった現在、しっかり説明しないと嘘が真実になってしまう。嘘も100回言えば真実になるという国なのだ。 また同じ次元で批判するとどっちもどっちと受け取られてしまう。 第三国はどちらが自分たちに利益になるかくらいしでしか判断してくれない。 国連のような場では、理性的に考えの違う世界の国に分かるような説明が不可欠だ。 中韓がどうして批判しているかという部分を踏まえて、それも理解した上で実は誤解であるという反論をするのが、第三国には日本の主張が通りやすいと思う。 イスラム教原理主義者が偶像崇拝は悪として、歴史的仏教遺跡を破壊してしまったが、 中韓は儒教原理主義で神道を量っているのである。 南宋の宰相で秦檜(しんかい)という人物がいた。女真人の金との和平を推し進めたため、国民的売国奴とされているそうだ。 戦おうとしていた岳飛は英雄とされている。 岳飛廟の前には秦檜の像があってつばを吐きかけられていたそうだ。 儒教には死後の救済はないとのこと。悪人は永久に悪人で墓を掘り起こして更に辱めるくらいだ。 WIKIを見ても秦檜は悪く書かれているが、ひょっとしたら、後世にそのように作り上げられてしまっただけで、 本当に和平を考えていたのかも知れない。岳飛の戦いが続けば更に南宋が疲弊する...と考えていたのかも知れない。 実際にその後一時の騒乱の後に平和が続いた時代が訪れた。秦檜は果たして悪人だったのか? それでも中国価値観では極悪人なのである。 理想を空想するのが儒教(知らずに悪く言っている部分はあると思う)。 岳飛が戦っていればきっと勝利して、漢人が中原(ちゅうげん)を取り戻していたはず、それを阻んだ極悪人が秦檜。 日本に侵略されなければきっと自力で産業革命してもっと早く先進国になっていたに違いない...という韓国の考え方も同様。日本にならなければ今頃ロシア沿海州か1991年にソ連崩壊とともに独立か...ではないかと思うのだが...。 それはさておき、 仏教が中国を通して伝わったからと言っても、仏教的考え方は今の中国には無い。 人種や表面的文化が似ているからと言って、考え方が似ていると思うのは大きな間違いである。 儒教も日本に取り入れられたが、日本に都合の良いように取り入れられたに過ぎない。 祀(まつ)るということでも、英雄などを祀るが、愚民である兵士を祀る何てことはない。 ましてや「戦犯」を祀るなんて。 彼らにとっては永久につばを吐きかける対象なのだ。 神道は自然を畏れる思想がある。自然は食物など豊かさをもたらしてくれるが、時に災厄ももたらされる。 災厄をもたらす「神」も宥(なだ)めて福をもたらして頂けるように参る...という部分もあるはずだ。 鬼や動物でも神社に祀られて翻って守り神のようにされていることもある。 有名な天満宮は、菅原道真公を祀ってあるのだが、道真公が偉かったから祀られたのでは無い。 藤原氏によって太宰府に左遷された後客死し、その後藤原の関係者が異様な死に方をしたり都に災害が起きたので、道真の怨霊によるものとして宥めて逆に見守ってもらうために祀られたのである。 中国的には墓も暴いて更にとどめを刺すところが、祀って拝む対象となったのである。 中国とは正反対なのである。 強いて彼ら儒教者の考えを理解するとすれば、例えば身内を殺害されたとしてその犯人を目の前にしたら殺してやりたい...と思うであろう。もちろん愛して止まない身内を殺された場合である。 死刑になってもまだ怒りが消えない人もあるだろう。 でも、死刑になって年月も経てば、ひょっとして犯人も可哀想な部分があったかも...と思って手を合わせるような心境になることもあると思う。 前者が中韓なのだろう。 そしてその場合の犯人は、長年面倒を見ていた使用人とか目下の者であり、そいつに逆襲をされた...という背景の気持ちもある...と思われる。 戦争当時を知る中国指導者は後者の考えがまだあったかも知れない。なので賠償金放棄という判断も出てきたのかも。或いは現在の状況を確信して臥薪嘗胆、深謀遠慮だったのか? 話を戻して、 西南戦争で死んだ兵士、明治後の戦争で命を落とした夥しい数の兵士らは、本来の自分の人生を全うせず 無くなっていったのだから、やはり怨霊化する可能性がある。 A級戦犯は、日本国内の戦犯で無いという主張も私は理解しているが、A級戦犯の名の下に処刑されたのだから、やはりそのままでは怨霊化するかもしれない。 戦犯を拝んでいるのではなくて、祀った後は見守ってくれる存在に転化というか昇華された...わけである。 お参りする方々は「怨霊化するといけないから」と思って拝んではいないと思うが、慰霊することによって災いをもたらさないようにして頂くというのは同じようなこととして良いのではないのか。 死者を祀って拝んで逆に自分たちを見守ってくれる存在とする...という考え方は中国人には理解できないことだと思うが、それでもそのような説明をすべきである。 戦犯を神聖化しているとするのは全くの間違いなのに、そういう主張に配慮するというのは、そう認めるということであり、日本人の考える配慮は彼らには通じない。 トラブルを起こしたときに起こした当事者として取り敢えず謝ってしまうと、100%こちらの責任になってしまうのですぐに無闇に謝るな...海外では...などと言うではないか。 なのに外交で「謝って」しまうという「過ち」をずっと続けているのが日本である。 歯がゆくて仕方が無い。 もう一度、とくに第三国に簡潔に言うとすれば、 日本神道はもともと自然崇拝の信仰である。 自然は恩恵も災厄ももたらす。 災厄をもたらさないようにも手を合わす。 恩恵と災厄を分けて災厄をもたらす方をないがしろにしたりはしない。 人も自然の一部。恩恵も災厄ももたらす。 偉かった人物だけでなく、災いをもたらした人物へも手を合わせるのは、災いをもたらした者を支持・美化しているのではなく手を合わせることにより 見守る存在に転化できる、昇華できる...それが神道というものである。 専門家では無いので説明の仕方、ニュアンスなどで違っていることはあるかも知れないが、大枠では間違っていないと思うがどうなのだろう?
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